人権ワンポイント講座 Vol.4 営業秘密の守り方「情報漏洩訴訟では、企業側の7割は敗訴?」
“Change before you have to.”
【不正競争防止法】(抜粋)
第2条6項
この法律において「営業秘密」とは、秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう。
さて、今回は企業の立場で、内部、外部からの情報漏洩、改竄、窃盗に対して如何に企業を守るかについて考えます。「人権」が無限大に保護されるのではなくて、正当な事業運営と企業の権利も保障されなくてはならず、特に企業にとって益々重要性を増している知的財産としての「営業秘密」をどの様に守っていくかを①日本での法令・判例、②米国での事例で明らかにしていきます。
1.企業における営業秘密管理に関する実態
次の図に示す通り、営業秘密に対する意識も取り組みも、企業規模によって大きく異なる結果となっています。池井戸潤による小説のテレビドラマ化によって、研究開発型の中小企業(従業員300人以下、中小企業基本法)『下町ロケット』が脚光を浴びています。光る技術を開発する情熱や能力があっても、資金や人材が限られた中では、特許、意匠、商標、そして営業秘密に代表される知識財産(知財)を守る体制が十分にとられていないのが実態です。
出典;「企業における営業秘密管理に関する実態調査」経済産業省
それでは、営業秘密漏洩、改竄、窃盗の身近な例を挙げてみましょう。
(1)中途退職者が、勝手に職場の営業秘密を持ち出して、再就職先で利用した。
当然、退職時には、次のような「秘密保持に関する誓約書」を退職者から提出してもらっています。
第1条(秘密保持の確認)
私は貴社を退職するにあたり、貴社の技術上または営業上の情報(以下「秘密情報」という)に関する資料等一切について、原本はもちろん、そのコピー及び関係資料等を貴社に返還し、自ら保有していないことを確認致します。
第2条(退職後の秘密保持の誓約)
秘密情報については、貴社を退職した後においても、私自身のため、あるいは他の事業者その他の第三者のために開示、漏洩もしくは使用しないことを約束致します。
第3条(損害賠償)
前各条項に違反して、貴社の秘密情報を開示、漏洩もしくは使用した場合、法的な責任を負担するものであることを確認し、これにより貴社が被った一切の損害を賠償することを約束致します。
さて、これで企業の権利は守れるでしょうか?損害賠償訴訟に勝てるでしょうか?
答えは、7割が敗訴ですので、Noです。①秘密情報の明示的な特定、②秘密情報の具体的な管理、③退職者が故意に秘密情報を利用したことの立証が出来ない限り、『誓約書』は、退職者への秘密情報漏洩抑止効果しかありません。
また、経験者を中途採用する時に、前職での①業務内容、②職務発明への関与、③営業秘密保持義務や競合避止義務合意書の存否を確認した上で、採用、配置する注意義務が、採用側企業に求められます。十分な業務上の注意義務を怠った場合は、前職企業から秘密情報窃盗、流用の「共犯や幇助」「故意や重過失」を問われることもあります。
(2)自社独自開発技術なのに、競合他社が模倣した製品を発売した。
これは、自社で開発した技術が盗用されて他社が製品を販売し、その他社から、「差止請求権」(特許法100条)を行使される事案で、近年開発研究型中小企業が標的にされています。経済産業省や特許庁も、知財セミナーや知財総合窓口を設置して注意を喚起しています。
先ずは、①特許出願申請ですが、同時に②自社技術の開発過程を克明に記録し、③「秘密情報の管理」が適切に行われていなければなりません。これが無ければ、不本意にも自社開発製品を他社(競合企業、外国企業を問わず)に勝手に模倣された挙句に、自社製品が他社から特許法違反で差しめ請求を受け、販売出来ないといった不合理な結末になることもあります。
2.営業秘密の要件
知的財産権の要件を個別に調べていくと、権特許権の要件は、①進歩性、②事業利用性、③新規性で、意匠権の要件は、①創作性、②工業利用性、③非公知性です。しかし、営業秘密の要件は、①秘密管理性、②有用性、③非公知性となっています。すなわち、営業秘密として権利を主張するには、特に『秘密管理性』が重要となります。
出典;「営業秘密~営業秘密を守り活用する~」経済産業省
3.企業側7割敗訴の理由
さて、「秘密管理性」が争われた裁判において、企業の約7割が負けている理由は何でしょうか? 従業員に顧客情報等の営業秘密を持ち出された場合、経営者の方の多くが激怒し、既に顧客を奪い取られたとなれば絶対に許すわけにはいかないと感じるでしょう。他社に技術情報を模倣された上に、他社から自社製品の販売指止め請求を求められた場合、法律にも裏切られたと落胆するでしょう。
多くの、中小企業経営者の方は、「当然、法律で守られるべき営業秘密を、違法に持ち出されたのは明らかなのだから、早く訴訟提起を行えば勝訴は確実」と考えるでしょう。しかし、不正競争防止法の営業秘密の要件で見てきた通り、顧客情報や技術情報が十分に「秘密管理」されてなければ、不正競争防止法上の営業秘密に該当しないと判断され、7割は敗訴しているのです。
それでは、「秘密管理性」とはどのようなものなのでしょうか。経済産業省の「営業秘密管理指針(改訂版)」では、裁判例において、(1)「情報の秘密保持のために必要な管理をしていること」、(2)「アクセスした者にそれが秘密であることが認識できるようにされていること」が重視されていると指摘しています。経済産業省では、『営業秘密管理チェックシート』も公開していますので、自社の営業秘密管理体制がどれくらいしっかりしたものになっているのかについて是非チェックして頂きたいと思います。
4.情報漏洩対策
さて、それでは具体的に何をどの様に準備をすれば、営業秘密としてその独占的な権利が守られるのでしょう。5つの対策を見ていきましょう。
(1)接近の制御
秘密情報を閲覧・利用等することができる者(アクセス権者)の範囲を適切に設定した上で、施錠管理・入退室制限等といった区域制限(ゾーニング)等により自らが権限を有しない秘密情報に現実にアクセスできないようにすることで、アクセス権限を有しない者を対象情報に近づけないようにします。
(2)持出し困難化
秘密情報が記載された会議資料等の回収、事業者が保有するノートPCの固定、記録媒体の複製制限、従業員の私物USBメモリ等の携帯メモリの持込み・利用を制限すること等によって、当該秘密情報を無断で複製し持ち出すことを物理的、技術的に阻止することを目的とします。
(3)視認性の確保
職場のレイアウトの工夫、資料・ファイルの通し番号管理、録画機能付き防犯カメラの設置、入退室の記録、PCのログ確認等により、秘密情報に正当に又は不当に接触する者の行動が記録されたり、他人に目撃されたり、事後的に検知されたりしやすい環境を整えることによって、秘密情報の漏えいを行ったとしても見つかってしまう可能性が高い状態であると認識するような状況を作り出すことを目的とします。
(4)秘密情報に対する認識向上
秘密情報の取扱い方法等に関するルールの周知、秘密情報の記録された媒体へ秘密情報である旨の表示を行うこと等により、従業員等の秘密情報に対する認識を向上させることを目的としています。これにより、同時に、不正に情報漏えいを行う者が「秘密情報であることを知らなかった」、「社外に持ち出してはいけない資料だと知らなかった」、「自身が秘密を保持する義務を負っている情報だとは思わなかった」といった言い逃れができないようになります。
(5)信頼関係の維持・向上等
従業員等に情報漏えいとその結果に関する事例を周知することで、秘密情報の管理に関する意識を向上させます。また、働きやすい職場環境の整備や適正な評価等によって企業への帰属意識を醸成したり、仕事へのモチベーションを向上させます。これらの取組みによって、職場のモラルや従業員等との信頼関係を維持・向上することを目的とします。
出典;「秘密情報の保護ハンドブック」経済産業省
さて、最後になりますが、恒例の私の米国駐在時代の経験から考えましょう。
RIF(Reduction In Force、リストラ)をきっかけとした集団離職です。米国では、「市場、顧客から支持されない企業、事業、企業は退場」「従業員が、個人の職業能力を活かせない企業に残るのは悪」といった考え方が基本にあります。
2008年のリーマンショック後、私が勤務していた米国子会社もリストラRIFを余儀なくされました。解雇理由は、事業閉鎖(Division close)、役職閉鎖(Position close)が中心でしたので、200人規模になりました。しかし続きがありました。特に主要な役職(副社長Vice President, 事業部長General Manager)のPosition closeには副作用があり、多くの直属部下が半年以内に自主退社していきました。
ご承知の通り、米国では職務記述書(Job Description)を書くのも、採用面接(人事は手続だけ)するのも、育成(OJT中心)するのも採用部門ですので、採用してくれた上司ボスへの忠誠心と関係性は日本以上です。結局、残って欲しい技術、営業の要50人が自主退社して、ボスの転職先企業に採用されていきました。
勿論、退社に際しては、営業秘密保持や競業避止義務合意書を取り交わしましたが、これだけの規模のリストラ退職ですと、実質的に営業秘密を守ることは不可能で、訴訟を起こすことも無意味です。結果、重要な顧客もノウハウ(秘密と明示出来ない知的領域)も流出していったと思っています。
日本では、採用システムや給与体系や転職市場が異なるので、ここまでボスと行動を共にする社員は稀ですが、「営業秘密」を守る限界を感じた経験でした。
日本も、だんだん米国並みの「業績主義、個人主義、市場原則」が浸透してきていますが、先ずは「権利の上に眠る者は保護に値せず」の原則に則り、リストラに至る前に、営業秘密(=当然保護されると思っている事業のコア)を守るための秘密情報管理対策に留意すべきと思います。
“Change before you have to.” (Jack Welch)
「変革せよ、変革を迫られる前に」(ジャック・ウェルチ、GEの元CEO)
次回、人権ワンポイント講座Vol.5は、人手不足とグローバル化の中で増え続ける外国人労働者の問題を考えます、ご期待下さい。